すききらいアンチノミーが足りない? #フィロのス

嫌い!好きだ!

大嫌い!どっち?

今日は好き 昨日普通?

大大嫌い!好きだ!

そう逆に!嘘だ!

もしかして気になる?

ahどっちがどっちなの

すききらいアンチノミー

 

そう去年大好きになった「フィロソフィーのダンス」さんの代表曲 すききらいアンチノミーの歌いだしだ。いまでこそ「大好きだ。」って言えるんだけど実はここに来るまでには結構な葛藤があったんだよ。

 

2016年の2月末。そうEpseciaの第一章が終了したときだ。やっぱり僕も虚無になって替わりを見つけるとかそういうのじゃなくて無意識に似たものを検索したなかの1つがこれだった。

www.youtube.com

その時の感想が「物足りない…」と一刀両断していた。

フィロソフィーのダンス(フィロのス)さんは動画等のネットの情報がすくなくあまり終えなかった。

 

でもなんとなく気になって動画を見続けてるとメンバーカラーの青がテクニックで聴かせて、赤が豪快に特徴のある歌い方をするとかますますEspeciaを意識してしかみていない自分が嫌になった時期でもあった。

 

そうこううだうだしているうちにEpsecia第2章がスタート。

お披露目のライブにいくも、正直半年待たせてこれ?と個人的にはおもわせるような内容だった。(EPを聞いて納得、楽曲を創るのに時間がかかっていたのね)その後の情報の出の遅さと東京での朝イチのライブばっかりだったので体験する事ができなくなってしまった。

 

そんな中で2016/07/18に僕の中で評判だったヤナミューこと「ヤなことそっとミュート」さんを体験した。凄い良かった。また体験したいと思えるパフォーマンスだった。

 

1週開けて2016/07/30。この日はNHKホールでNegiccoさんのワンマンがるのでそれを体験するのがきまっていたので午前中に参加できるライブないかなーとみているとフィロのスさんがブッキングされているライブをみつけた。とりあえず体験してみる事に。

誰か?の生誕イベント(忘れた)で持ち時間もすくなかったけど運よく?上手のPA前の最前で体験する事ができた。

 

 

た、たのしい…

 

 

この感覚は僕が初めてEspeciaを体験したのと同じ感じ。一発で大好きになってしまった。でもまだ心のどこかでEspeciaがひっかかっていたのでなんとなく赤と青を避けて桃の「佐藤まりあ」さんを推す事にきめたのでした(本当は佐藤まりあさんを推す事になるのはもっともっと理由があるんだけどそれはまた今度)

 

そして運命の日2016/09/23 脇田もなりさんがまた帰ってきた!もなりさんの夢の続きを応援できる日がくるなんて本当に最高だった。

 

こうして役者?は出そろった。

 

2017/02/05 で

脇田もなり × フィロソフィーのダン

ヤなことそっとミュート × フィロソフィーのダン

2017/02/11 

Negicco × フィロソフィーのダン

 

と立て続けに去年度僕が心を動かされたアーチストが対バンをする

 

その中心がフィロソフィーのダンスになっているのもなにかの必然のような気すらする。

 

今年度でいえば一番体験しているのはフィロソフィーのダンスだ。

きっとそういう事なんだろう。

 

 

 

 

脇田もなりさんの生誕祭にいってきたよ #monari

あのね、、、

1/28のVIVID SOUNDのスタジオで行われた脇田もなりさんの生誕祭にいってきたんだよ。そこはもう暖かさしかない空気につつまれてたんだ。

最初はデビューからの振り返りを一緒にしたね。VIVID(現事務所)に初めて来たときは「死んだ魚のような目をしていた」とか「グループ時代には歌唱で勝負した事なかった」とかけっこう赤裸々にお話しをしてくれたね。いろんな思いがあるけどやっぱりお披露目会の映像はグッとくるものがあったね。

 

次はライブだったね。

ユメトコスメの長谷さんのKEYのみでカバー曲を4曲も歌ってくれたね。その中でもやっぱりYUKIさんのJOYは別格だったね。今回の生誕で一番グッときたよ。

そして皆で新曲のboyfriendのMVを見たね。初出しをお祝いしてくれるみんなでみれて恥ずかしそうに楽しそうにしてたね。そしてそのあと新曲も披露してくれたよね。

MVを皆でみた直後に「この歌聞いた事ある人~?」って全員手を上げたのをみてヤラかした事に築いて照れてた仕草もかわいかったよ。

そして最後に22歳も頑張るという決意表明でおわったね。

来年もその次もこんな風にお祝いできるといいね。

ずっと、ずっと…

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ポエム終了。

ここからは所感。

YUKIさんのJOYは最後のフレーズを「死ぬまでずっと歌ってたいわ~」と22歳の決意を替え歌にしてくれて本当にグッときました。これはきっと参加した皆が同意する事。

・基本的にMCから何からもなりさん一人でまわせるようになっていて感動。困ったときは「イェイ」と他の人のMCをパク…参考にやるとの事。

・社長さんマネージャさんを始めVIVIDさんは本当にアットホームな空気に溢れていた。押し付け感もなくもなりさんも言ってたように本当にいいめぐり合いができたなと思った。

・最後にサインをしてもらった時に直接オメデトウが言えて本当によかった。僕は脇田もなりさんの夢の続きを応援できているんだ。

・退場するときにマネージャさんと社長に「去年の生誕は卒業が決まっていたこともあってずっと笑顔が溢れているというわけではなかったけど、今年はずっともなりさんが笑顔だったので最高でした」とお礼を述べると逆に「脇田もなりをこれからもお願いします」って言われて照れる。

 

 

多幸感はんぱなかったしちょっと同窓会感もあったし本当に良いイベントでした。

 
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なかなか寛解しなくて焦ってもしかたないので当時の書き殴ったのがでてきたので晒すよ (2013/04記)

契約しているdocomoが丸2年たったのでMNPしようと考えている。。
 携帯端末好きな僕は普段だったら解約金なしでMNPできる「実弾」として 大喜びの僕だけどこの回線だけは迷っている。
なぜなら2年前ヨメノヒトが入院してもネットが使えるようにと 契約したPocket Wifiの回線だからだ。
2011年の3月に検査結果が良くなくて専門の病院で再検査を受けたけど 検査結果はやっぱりNGだった。そう病名は「癌」だ。
その話を義父さんと義母さんに話をしたときの なんともいえない驚きと悲しみが混じった表情は今でも忘れられない。
「あんた厄年だねぇ。お祓いいかんと。」とうちのおかんからいわれた。
 確かに僕は厄年だったけど本当の災難はヨメノヒトであり、義父さん、義母さんだろう。 あと、お犬様も。
病院で入院の手順を聞いて準備をしないと。
 個室だとPCや携帯電話の持ち込みも問題ないと知って「ネット使えるようにして欲しい」と。
iPhoneだけでなくPCを利用したいとの事。
ヨメノヒトのPCは 17インチ液晶のいわゆる「デスクノート」で大きすぎる。
バイルPCでも買う?と聞いたら「今使っているのを持っていく。」と即答。
 その時の僕は「相変わらずケチだなあ。」くらいにしか思ってなかった。

でも僕は「今使っているもの。」に意味があった事に気付いたのは後からだった。

大急ぎでいろんな準備をしていよいよ入院する事に。
ちいさな車に荷物を押し込んで病院に。
何故か手違いで個室ではなく大部屋に通されて御不満(あたりまえ) 荷物を降ろして先生から説明を聞いた。
 標準で6泊7日。経過がよければ5泊6日で退院だという事を教えてもらった。
ヨメノヒトに「もう帰ってええで。」と言われて家に帰る僕。
 「明日も来るわ」といってスゴスゴと帰ったよ。
 その夜、なんとか空き部屋を確保してもらえて個室に移動したと言う事を ヨメノヒトのtwitterで知った。

翌日様子を見に行くとPCを広げてネットやSNSをしていた。
入院という非日常的な空間で出来る限り日常的にしているヨメノヒト。
 入院、手術という非日常的な事なんだから非日常らしくしてればいいのにと 思ったけどそれは間違いだった。
きっと頭の隅っこに湧きでる恐怖を消す為にできるだけ日常でいようとしているのだ。と。
その日常演出が過剰すぎてtwitterでつぶやき倍増してましたけどね。

人は不安になるとなにかしらの「よりどころ」を求める。 その拠所が普段通りのtwitterのつぶやきだったんだろう。
フォロワーさんからの「入院しているとは思えない」の言葉は ヨメノヒトの大きな力になったんだと思う。

一通りの検査が終わって手術当日。
 「ほな行ってくるわ。」「きいつけて。」とまるで友達の家に 出かけるかのような日常的な会話をして手術室につれていかれるヨメノヒト。


数時間後…。


先生が手術が無事終了して成功した事を伝えに来られた。
 僕はほっとした。
 なんか大げさなエプロンと手袋をつけさせられて手術室に入れてもらった。 切除した癌細胞をみせてもらう為だ。なんかパチンコ玉くらいのしこりが1つ。 仁丹くらいのしこりが2つ。これが癌細胞らしい。手袋越しに触ってみると固い。
先生曰く思っていたより大きいので普段から違和感があったはずといっておられた。

手術室を後にして大げさなエプロンと手袋を脱いで病室に戻った。
ほどなくして看護婦さんが現れてヨメノヒトが麻酔から醒めたのでつれてくるとの事。 ストレッチャーにのせられて、だるそうにしているヨメノヒトがベッドに戻された。
勿論手術痕は痛いけど意識はしっかりしているみたいだ。
 開口一番「携帯電話とって」と僕に指示する。 「なんで?」と聞いたら「実家に連絡する」と。
その会話を聞いてた看護婦さんが 「手術の終わった今日は携帯もパソコンも禁止です!」と 小学生がNintendo DSで遊んでは駄目といわれてるみたいに怒られた。

僕がヨメノヒトの実家に電話して手術の成功を伝えたけど、 きっとこれもヨメノヒトにとって非日常と感じるので 自分で電話をしたかったのだろう。

やはりしんどいのだろう(あたりまえ) ヨメノヒトは眠ってしまったので病院を後にして家に帰った。 さすがにその日の夜はヨメノヒトのtwitterが呟かれる事はなかった。

翌日病室にいくといつものようにPC開けてネットするヨメノヒトがいた。
 まだ手術痕には管が残っており痛々しい。 そんなヨメノヒトが「明日退院するし。14:00に迎えにきて」と。
予定ではもう一日入院してないといけないはずなのに…。
なんでも先生と示談して退院を予定より一日早めてもらったようだ。 ヨメノヒトの非日常の排除は徹底している。
しかし、本人がそう言っているので異論はない
。 この日は、決意を表すかのようにヨメノヒトは退院ツイートをしていた。
 やっぱり退院がうれしいのだろうつぶやきも倍増状態だった。

翌日お迎えの日はあいにく小雨がふっていたけど予定通りに部屋を引き払って 預けていたお犬様を迎えにいって家に戻ってきた。 結局、気合い(?)で4泊5日の入院生活だった。

まだまだ患部も痛んで、管も付いたままだけどヨメノヒトの日常が戻ってきた。

 

 

そして今日。2年経って、新しいお犬様も迎え入れて手を焼きまくっている。 これが僕らの今の日常だ。

人は残念ながら何かに頼らないと生きていけない弱い生き物だ。 特に日常が大きく崩れ去ると、人の心も大きく崩れ去る。 心が崩れ去らないように、ヨメノヒトは日常的な事に拘っていたんだと ようやく理解できた気がした。

舞台フィギュアを体験してきたよ #舞台フィギュア

 舞台フィギュアを体験したよ。

 三瀬ちひろさん(ex Especia)が出演すると聞いて6回ある最初の公演こけらおとしを見てきたよ。

 

 フライヤーとかみて完全にHiroki先生の術中にハマってしまっていて本当にスケートのお話なのかな?って思っていたよ。なのにコメディってどんなんだろ?と想像してみたけど何も思い浮かばなかった。

 

会場に入ってみたら沢山の人人人。少しの驚きを感じながら俯瞰で見れる後ろの席にすわった。

 

舞台には人形が沢山おいてある…。あれ?フィギュアって…とやんわり気づいてしまった。

三瀬ちひろさんの影アナで注意事項とかがアナウンスされて程なくしてはじまった。

 

話の内容は今回は割愛するけどヲタクがリア充になるお話。

 

始まって前半はコミカルなダンス。ステレオタイプのヲタクのいちいち芸の細かいところが楽しい。三瀬ちひろさんを探すんだけどみつからない。

 

中盤はコミカルからシリアスに。 ここでも沢山の人がでてきたけど三瀬ちひろさんを見つける事ができなかった。もしかして僕が見逃してたり認識できてないだけ?と凄く不安になった。

 

後半パートでようやく登場!立ち振る舞いがいちいち僕の知ってる三瀬ちひろさんだった。ポージングや ムーヴする度に感動する。

 

公演の最後に出演者みんながでてきてお辞儀をするときの三瀬ちひろさんをはじめ出演者の緊張のとけた感じの雰囲気がすてきだったよ。

 

三瀬さん以外では女子高生フィギュアの方のポージングのかっこよさがすごかったな。

 

終わってからちゃんといいお話だったなー。って思っている自分に驚く。だって場面に応じた音楽とダンスしかないんだよ。誰も喋ってないんだよ?

 

踊りだけでこうも表現できる事にも驚いたしこういう世界があるのも驚いた。皆がいってたようにもう一回体験したかった。今度は一番前で皆の細かな表情とかもチェックしたかったかな。

 

とにかく新しい体験をさせてもらった。

 

三瀬ちひろさんは三瀬ちひろさんだった。

 

ESPECIAは第二章に なってから踊りで表現をする事をやめてしまった。

三瀬ちひろさんは卒業してから踊りだけで表現する舞台に立った。

 でもどっちも表現するという事には違いないし、どちらも純度が高まっていると感じてる。

 

三瀬ちひろさんこれで最後じゃなくてもっともっと踊りで僕達を魅了していってほしいな。

 

 

 

ヤナミューは本当にお星さまなの? #ヤナミュー

ヤナミューのみんなが星だったっていってる人がいる。

 

ほんとに?お星様って空でピカピカしてるちっこいあれだよ?

絶対に手が届かないあれだよ?

 

僕は7月に初めてヤナミューさんのパフォーマンスを見て度肝を抜かれた。ちょうどその時は結成1か月っていってたっけ。

それを感じさせないパフォーマンスの凄さとMCでの緩さにやられて、これ以降とってもきになる存在だったんだ。

 

でもなかなかパフォーマンスを体験する機会がなくて先日ようやく2度目のヤナミューを体験したんだ。

ちょっと遅れていって狭いライブハウスのフロアの後方で体験してたんだけどもう僕の知っているヤナミューさんとは別物だった。

最初からパフォーマンスはすごかったけどダンスやフォーメーションをこなす事が精一杯な感じだったのがフロアを見る余裕まで出てるしそれでいてパフォーマンスは切れを増していた。4か月でこうも変わるんだと本当にびっくりした。

最後の「カナデルハ」から「ホロスコープ」の流れは本当に僕の中の何かが爆発しそうになったよ。

 スーパーノヴァ?星だから爆発するってことなんだね。

 

特典会ではスイッチが入ったのか思いっきりはしゃいでいるまにさんが印象的だった。そしてみんなとチェキを撮る時に「リリイベの時の浴衣チェキをもらった事」を報告してから、初めて話した時と同じように「結成間もないのにパフォーマンスがすごいですね」っていう話をしたよ。

そしたら初めてはなした時とおなじ台詞を3人とも言うんだ。それはほんと一字一句違わない感じで。さっきまで「4か月でここまでかわるのすげー」とおもったとこなのに今度は「4か月まえとまったく変わらない事をいってるすげー」になったよ。(レナさんは初めましてだったので前の話はないけど。)

 

そうか!ヤナミューさんは星だから動いてないように見えることもあるんだ。

 

でもこの落差が輝きを増すなにかになっているのかはまだわからないや。

 

間違いなくヤナミューさんはお星さまだった。また次いつ体験できるのかわからないと思うと途端に寂しくなったよ。

家に帰る途中空を見上げてお星さまを探してみたけどあいにくの曇り空で僕の目には星がみえなかった。

どうしても星が見たくなったので、家に帰って皆が寝静まった頃に押入れから昔かったおもちゃのプラネタリウムを取り出して電源を入れてみたけど電池がなかったので星空が現れなかった。仕方なく恒星原版だけ取り出してスマホのライトで天井に投影してみた。すると天井や壁一面に星が現れた。その星の下でヤナミューさんの音源をヘッドホンで聴くと確かにお星様のようひキラキラピカピカしていた。

 

ああ、こうやって音源を聞くことでいつでもお星さまの輝きを感じれるんだね。

 

月末には新しい音源もリリースされるし、どんどん僕の上にお星さまが増えていくとおもうとわくわくできる。

 

 ヤナミューさんはやっぱりお星様だったんだ。

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youtu.be

 

ただいま! #monari

脇田もなりさんが再始動した。

2016/09/01に丁度Especiaの第一章が終わってちょうど半年がたった時だ。僕は少しの期待と昔を懐かしむ気持ちで0時くらいにつぶやいた。

 まだこの時はこの15時間後にしかもわりと近い日程で復活があるなんてあまり考えてなかったんだ。

 

VIVID SOUND所属で11/16にシングルがでて、しかも9/23にお披露目ライブがあるという事が発表された。その日はIngressのイベントで高松に行く予定をしていたんだけど、チームのメンバーに「ライブ行ってきなよ。グラウンドは任せておいてくれていいから」と背中を押されて9/23のお披露目ライブを体験する事にした。

 

Twitterも復活して、なんだかいつもの日常が帰ってきた気もしたけど、僕はまだ怖くてメンションと飛ばしたりとかするのができなかった。

 

そして9/23当日。はやる気持ちを抑えて入場した。特典会もあるとの事なのでポスターを購入して上手の前から3列目くらいのところにスタンバイしてた。

僕の前にいた星野みちるさんのファンの方に唐突に声をかけられて、もなりちゃんのファンだというとなんと最前を譲ってもらえたんだ。ありがとう。

 

もうすぐもなりちゃんが出てくるとおもうと気持ちがザワザワして落ち着かなったけどなんだか力を入れて握っていたUNITの鉄柵の冷たい感覚が僕に「落ち着け」って言っているような気がした。

 

そして待ちに待ったときがきた。

折り目のついたおろしたての真っ赤なドレスシャツにベルトポーチのついたミニスカートで僕の記憶の中に鮮明に残っている少し困ったような笑顔であらわれた。もう僕はそれだけで泣きそうだった。

でも泣くのを我慢して1秒も見逃したくないので必死にもなりちゃんをみてた。

振付で人差し指を立てて前にだす仕草ですこし手が震えてるのがわかったり、観客みんなの顔をみようとしているのがわかったりした。

そしてなにより楽しそうに弾むように歌っていたのがすごくうれしかった。

3曲なのであっというまに最後の曲。

その曲の間奏で「あ・り・が・と・う」と口パクでつぶやいたもなりちゃんをみて我慢しきれなくなくなって涙してしまった。

だって東京最後の恵比寿の1部の時の「さよならクルージン」でも「あ・り・が・と・う」って口パクでつぶやいたのを思い出したから。

あのときは、それまでの過去に対してのありがとうで、この時のありがとうはこれからの未来に向けてのありがとうだから。

僕の中で途切れていた線が1つの線につながった気がしたんだ。

溢れる涙で目頭も熱くなって、頭もぼーっとなってその場にうずくまりそうになったけど手のひらに感じる鉄柵の冷たい感覚で少し冷静になって、最前を譲ってくれた人にお礼をいって後ろにさがった。

 

そして特典会の列にならんで「なに話そうかなー」って思って色々考えたのにもなりちゃんのふにゃっとした笑顔をみたら全て飛んでしまってた。

「おかえりなさい。緊張してたね。振付で指ふるえてたね。」というと「あたりまえだよ。でも顔はちゃんと見えたよ一番前でへんな顔してたねー。」と。

きっと泣くのこらえてて変な顔になってたのかな。それでもこうやって他愛もない事が話せる事がうれしかった。

少し関西弁が抜けて標準語になったもなりちゃんに新しい幕開けを感じた。

きっとUNITの鉄柵の冷たい感覚は一生忘れないと思う。

「おかえりなさい!」

 

 

 

M128 #Especia

「卒業も含めてそれも彼女の人生なんだから応援してあげないと。」

これは僕が「相談は踊る」のラジオに出演した時にライムスターの宇多丸さんにかけてもらった言葉だ。

 

EspeciaのEstlleraツアーの静岡公演まで話は遡るね。

この時の公演、何時もの出囃子で5人が登場したんだけどいつもと空気が違う

よくみると脇田もなりさんが泣いている。

理由はわからなかったけど彼女はうっすらと涙を浮かべながら歌い踊っていた。いったい何があったのかわからなかったけど、この日僕の目線は脇田もなりさんから離れる事はなかった。

そして終演後の特典会で僕は「もっともっと応援するからがんばって」みたいな事を話したけどもなりさんはちょっと困ったような顔をして「頑張る。」て小さくガッツポーズをしてくれたけど少しの違和感を感じたけどきにしないようにしてたんだ。

そしてその日なんで泣いたのか?という問いにもなりさんは「赤いTシャツ(もなりさん推し)の人がたくさんいたから」と答えた。当時は意味不明な言葉だったんだけど、あとで考えるとこの時にはもう何かを決断したって事だったんだね…。

 

ツアー1月のファイナルを残すのみとなった12月のある日。NU茶屋町でのイベントでいつものようにもなりさんと会話をする。でもこの日はいつもとちがってもなりさんの方から「1月17日のツアーファイナルってきてくれるの?」と。

僕はややドヤ顔で「もちろん。チケットもとっくにゲットしてるよー」というと食い気味に「絶対、絶対、絶対来てね。約束だよ。」と言われた。僕はこんな事言うてくるの珍しいなー。集客厳しいのかなーくらいに呑気に構えていた。

 

そして年が明けて運命のツアーファイナル。最高から最悪に突き落とされる時がくるなんて考えてもいなかった。

重大発表と称して清水MGから卒業するメンバー「脇田もなり」の名前を告げられて目の前が真っ暗に。

心の準備できていなくて不意打ちされると人間こうもダメになるのかという事を思い知らされた。COASTのビールを手持ちのお金が無くなるまで飲み続けるしかなかった。

 

とりあえず2月末の卒業までに体験できるやつは体験しよう。2月末まで体験できる現場はもう数える程しか残ってなかった。現実は残酷だ。

気持ちを切り替えてもなりさんの生誕があると思うように。

僕はチケット発売の日を遅番にしてもらって大人げなく5分前からロッピーの前に居座って整理番号「1番」を手に入れた。

生誕でのみんなへの手紙とアビスは一生の宝物だと思えると同時におめでとうが言えるのもこれが最後かと思うと正直寂しさの方が勝っていた。

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新しいアルバムの予約イベントもドンドン消化して特典会でも何を話していいかすらわからなくなってしまっていて、恥ずかしい話だけどこの頃の僕はかなり挙動不審だったんだ。

 

それでも悪戯に時間だけが過ぎて行ってどうやって折り合いをつけていいかわからなくなっていたそんなある日。毎週、楽しみに聴いている「相談は踊る」にお悩み相談をおくってみようと思いついた。

いま心にある気持ちをメールにしたためた。

採用されなくても誰かに読んでほしいとそれだけだった。実際その週の「相談は踊る」では採用されなくて、ここのどっかちょびっとだけ「採用されないかなー?」という思いもないわけでなかった。

 

その翌週の金曜日に普段は鳴ることのない僕の携帯電話に知らない番号から着信があった。仕事でトラブルもあったのでその連絡だと思って出てみると「TBSラジオです。相談は踊るに明日電話で出演してみませんか?」というではないですか。僕は断る理由もなかったので電話出演してみる事にした。

その日のゲストはライムスターの宇多丸さん。パーソナリティのジェーン・スーさんとお二人ともアイドルに詳しい方々だ。

2/20運命の日がきた。

20時過ぎに電話がなって思いの丈をお話しさせてもらった。

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1:08:00 位から

ラジオで、僕の上手くいってない人生がEspeciaの皆がうまくいくようにしてくれたという言葉につっかえてた物がとれたようになってざわざわしていた心が嘘のように楽になった。

この時実は5人のEspecia最終公演のチケットを発券すると何がが終わるような気がして

発券できずにいたんだけど翌日発券した。

これ以降はライブを目に焼けつけようという思いといままで有難うという感謝の気持ちで見れるようになったし脇田もなりさんのこれからの人生も、2人になったEspeciaも応援していこうと素直に思えた。

 

ラストの恵比寿も、本当のラストのビレボアも寂しい気持ちがないわけではなかったけど穏やかに見れた気がした。

ただ、終電の都合でビレボア終了まで残る事はできず写メもとれなかったのは残念だったけど。(他の方が僕の為に写真をとってくれたの超うれしかった。)

 

そしてその日から6か月が過ぎて脇田もなりさんがまた歌い始めるとのニュースが。

歌を諦めてなかった事が本当にうれしかった。

「推してる子の夢の続きが見れるなんで最高ですね。」という言葉を頂いて時に冒頭の言葉を思い出した。

 

「卒業も含めてそれも彼女の人生なんだから応援してあげないと。」

 

そう僕は幸せな事にまた脇田もなりさんを応援する事ができるんだ。

2016/9/23 夢の続きのまた始まるよ

 

追伸:

ラジオに出た翌日エゴサしてフルボッコだったらどうしようと思ったけどそこまで叩かれてなかった。その中に一人Especiaの曲を聞いてみたらよかったのでiTunesで購入したという人がいて本当にうれしかった。

後日スーさんがコラムにしてくれてたのも驚いた。

http://mainichi.jp/articles/20160227/ddl/k13/070/126000c

 

 

最後まで読んでくれたもの好きなあなたありがとう!